目には青葉山ほととぎす散歩道

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目には青葉 山ほととぎす 初鰹
とか何とか言っちゃって、残念ながら初鰹は食えそうにないが、青葉萌える七股池の雑木林からはほととぎすの声が聞こえている。
早朝の散歩中は、ごく親しい友人であっても、決して顔を合わせたくない。という心理が働くものだ。
ほととぎすの声を聴きながら、いつものコースを歩き出すと、知原の畑地帯に出る。緩やかな起伏のある眺めのいい、私のお気に入りの風景が広がっているのは、このブログでしつこいくらいに書いている。
見晴らしのいいところなのでここを散歩する人は多い。私が歩いているその数十メートル先に近所の鈴木(仮)さんが散歩している。鈴木(仮)さんはかなり速足で歩く人なのだが、急に速度が遅くなった。あまり親しいわけではないので気にする必要はないのだが、お互いの存在を認識できるほどの至近距離まで縮まってしまうとちょっと気まずい気がする。とりあえず挨拶くらいはしておかなくてはいけない。場合によっては「今日はいい天気ですね」などの一言を添えておいたほうが良いのかな。
・・・「天気がいいですね」などの「など」に含蓄があって、その中身まで考えだすと、いろいろ面倒なので考えなくてもいいように「など」という言葉で話を濁しているわけだが・・・
どういうわけか、早朝散歩は極力、内輪(同居人か独り)で行いたいイベントであり、他人の介入を是としないものであるために、私は鈴木(仮)さんとの距離をできるだけ縮めたくない。そのため、歩行速度を落とした鈴木(仮)さんに合わせて私も仕方なく歩行速度を落としたのだが、いつも速歩きの鈴木(仮)さんが何故速度を落としたのか。すると鈴木(仮)さんの数十メートル前方に山田(仮)さんが歩いていることに気付いた。両氏は会社の元同僚で現役時代からかなり親しい友人同士であることは私も知っている。2人朝それぞれ、この辺りを散歩しているのもよく見かける。が、二人並んで散歩しているところを見た事がない。やはりどんなに親しい友人であっても早朝散歩で顔を合わせることを是としない方針であるらしい。
数十メートル先を歩く山田(仮)さんが、その先にいくつか交差する農道のどれを選択するかで鈴木(仮)さんの散歩コースは微妙に変化していくのだろうと容易に想像できる。そうなると私もその影響を受けた状態でコース変更をせざるを得ないことになる。何しろお互いに顔を合わせることを是としない。
鈴木(仮)さんは山田(仮)さんの動静だけを考慮して歩けばいいだけだが、私は鈴木(仮)さんと山田(仮)さん2人の動きを注視しながら自分のコースを選択しなければならない。仮に山田(仮)さんが3つある農道のうち1つ目の農道を曲がったとして、鈴木(仮)さんは2つめか3つめの農道を選択することになる。鈴木(仮)さんが2つ目の農道を選択したとすると、私には3つ目の農道を歩くしかないのである。私には限られた選択肢のなかで生きていかねばならない。あんまりだ。
山田(仮)さんは3つの選択肢があり、鈴木(仮)さんは2つの選択肢が残され、私には選択肢がない。こんな不公平なことがあっていいのだろうか。と、本当はどうでもいい事なのだが、なんだか損をしているような気分になってきた。
たかだか散歩するのになぜこんなにめんどくさい事を考えなきゃならないんだろう。
山田(仮)さんが鈴木(仮)さんの存在に気付いているかどうか判らないが、きっと気付いているに違いない。鈴木(仮)さんは山田(仮)さんの動静を気にすることで、後ろに私が歩いていることに気付いていないかもしれない。私は山田(仮)さんと鈴木(仮)さんの動静を見ながら歩かねばらなず、鈴木(仮)さんの倍の神経を使わなくてならず、それだけ気遣いに費やすエネルギー消費を思うとやっぱり不公平感を覚えるのである。が、もし鈴木(仮)さんが、私の存在に気付いているとすると、鈴木(仮)さんも前後に山田(仮)さんと私に挟まれた形で、鈴木(仮)さんなりの神経の使い方をしなければならないだろうと思うと、鈴木(仮)さんの思いいかばかりかと慮ったりもする。では一番前を歩いている山田(仮)さんは、後ろに鈴木(仮)さんが歩いていることに気付いていたとして、そのまた後ろに私がいることに、はたして気付いているかどうか、ということまで、考えてみようと思ったがそこまで考える必要があるのだろうか。この三者の複雑な心理に脳が付いていけず、思考停止してしまいそうなので、これ以上深考えない方がいいかもしれない。
この3人の散歩について、お互いに顔を合わせることを是としないという基本方針は決して揺らぐものではないような気がする。まあ、気がするだけだから、本当は鈴木(仮)さんも山田(仮)さんもお互いに顔を合わせることを是としないという方針があるのかないのか確かめたわけではないが、とりあえず、今回は顔を合わせることを是としないという方向で話を進めていきたいとおもったが、ここまで読んでいてわけが判らなくなってきた人もいるのではないかと思う。第一、これを書いている私自身、いったい何を書いているのか判らなくなってきている。
この3人のお互いの関わりを拒絶する空気が辺り一帯に漂っている(ような気がする)。ホトトギスの声も、上空でひっきりなしに聞こえていたヒバリの声も、いつの間にか止み、私の歩く乾いた靴音だけが聞こえ、張りつめた緊張感はさらに増すばかりだ。これではとてもじゃないが気持ちのいい散歩などできやしない。いたたまれない。たかだか散歩するくらいでなぜこんな思いをしなければならないのか。これが現代に生きる者の業(ごう)ってやつだ(大げさ)。

他人の散歩コースに神経をとがらせた今日の私の散歩。大きな疲労感だけが残った。家に戻り、コーヒーでも飲んでさっぱりしようと思ったら、前頭葉が痛くなるくらいに甘いコーヒーを淹れてしまった。散歩で脳を働かせたのでいつもより甘めのコーヒーを飲みたくて砂糖を3杯入れたが、それにしても甘すぎる。ネスカフェの粉を一杯半に対し砂糖を3杯。湯を注いでそのまま飲めばよかったのに、頭が働いていなかったせいで、さらにネスカフェを一杯半と砂糖を3杯足してしまったのだった。やたらと濃くてクソ甘いコーヒーになってしまった。が、勿体ないのでそのまま飲んだが、濃いコーヒーと砂糖の甘みが前頭葉を刺激し、脳内に泥を詰められたようないわゆる疼痛ってやつに襲われた。今日は朝っぱらから黄昏たのだった。
どうもこれを書きながら聞いている曲がそういう気分にさせている感も否めない気がする。
ブルックナーの交響曲第9番の第一楽章をいろいろな演奏者で聴きながら。
ハイティンクとコンセルトヘボウ。
カラヤンとウィーンフィル。
カラヤンとベルリンフィル。
ギュンター・ワンドとベルリンフィル。
朝比奈と大阪フィル。
アバドとベルリンフィル。
バーンスタインとウィーンフィル。
同じ曲を集中的に聴き比べするとやっぱり頭がおかしくなるのかもしれない。





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