今年最後の連休

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11月30日、12月1日は、今年最後の連休だった。
30日はデッサン授業、1日は午前中に掃除洗濯等のこまごまとした家事と、買い物を兼ねた自転車散歩。午後ようやく時間ができたので、絵の制作に取り掛かろうと思ったが、全く気持ちを集中させることができず、キャンバスに向かっていられたのはせいぜい1時間。ただ前々日のうちに絵肌を整えておいたので筆を当てたときの感触は良かった。
一昨日出来なかったことを、昨日今日で仕事前の少ない時間だが少しでも進められたらという思いがある。
明日は休みだが、きっとまた午前中は家事と自転車散歩に費やすことになり、午後からどれだけ気持ちを集中させることができるか、その時になってみないとわからない。
キャンバスに向かって、ここをこうしよう、あそこをああしよう、と、考えても、常に動く時間とともに、気持ちも動くのでさっき感じていたことと、今感じていることが、同じ対象を相手にしていても少しずつズレが出てきてしまう。ましてや、昨日、一昨日の感じていたこと、思っていたこととなると、ズレはより大きくなっている。
まったく厄介なことだ。こんなことを繰り返していくうちに、当初思い描いていたものとは似ても似つかない、別の仕上がりになってしまう。微妙な色の重なり具合や隣接する色とのバランスに影響し、それが画面全体に流れる空気を変えてしまうのだ。
まったく厄介だ。厄介ではあるけれど、これがまた面白くもある。
窯の火の具合で、うわぐすりが思いもかけない色で出たりする焼物と似たところがある。目も当てられない駄作になるか、曜変天目のような傑作が生まれるか、炎の揺らぎひとつ。
心の揺らぎひとつで、どうにでも変わるのが絵だ。
多くのものは描いている最中に、どうにもならないくらいに迷いとか出てきて手が止まってしまったり、妥協して見栄えだけ整えたり、描き終えサインを入れ、その場では納得したつもりでも時間がたつと粗が見えてきたりする。
陶芸家ならその場で割って捨てるのだろうが、私は未練タラタラと捨てることも出来ず、かといって、修正を加える気力もないまま何年もの間、放置する。放置された絵は、部屋の隅で埃をかぶって立てかけっぱなし。これが2枚3枚、5枚と溜まってくるので、その忌々しさに視線を向けられないので、だんだんと部屋の中で見てはいけない範囲が広がる一方だ。

何年後か、この部屋はきっと開かずの間になっていそうだ。
ああ忌々しい。








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