驕った意見かも

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高齢者の介護は難しい。子供がえりという言葉がある。認知症でそうなっていく人もいる、が、事はそう単純ではない。子供がえりした人でも立派な大人である。その人の歩んできた人生が詰まっている子供がえりだ。子供がえりした人だからといってむすんでひらいてなんて幼稚園並みのように扱える人ばかりではない。
介護保険制度があったかどうか憶えていないが、また、どういういきさつでそうなったのかこれまた憶えていないが、父をデイケアサービスに半日預かってもらったことがあった。その前に一度見学させてもらっていた。広くて明るい施設の中で、老人たちがタンバリンやカスタネットをもって、職員のリードに従って童謡を演奏している光景。職員の笑顔と老人たちの笑顔が溢れているように見えがちだが、その中にはしらじらしい笑顔も。惰性で鈴をたたいている人もいる。まだ子供がえりしていない人も交じっている。施設のお世話になっているからという意識が働いてのお付き合い。「こんなくだらんことやってられっかよ」と、ぽつんとたたずむ老人もそこここにいる。私ももし高齢者になって子供がえりしてもいないのにああいう施設で飯食わせてもらってタンバリンたたいてみんなと一緒に笑うことができるかといったら、きっと楽しいとは思わないだろうと思いながら、その光景を見た記憶が鮮明に残っている。そして一緒に見学をしていた母も父もきっと同じ思いをしたに違いない。
が、意外にもこのデイケアサービスを父は受けてみてもいいと言った。我々家族に気を使ってのことなのかどうかわからないが、とにかく一度受けてみると言ったので、半日預かってもらうことになったのだ。狭心症の母の負担も多少なりとも減らせればという思いもあるし、私もそんな母を心配しながら仕事をしなくてもいいし、何よりも楽がしたい。
一時的でもいいから厄介払いができればというのが本音。
昼間5時間か6時間で昼食付きだったと思う。当日、仕事から帰って母に、「どうだった?」ときくと「やっぱりだめだった」という答え、そして、「お父さん泣いてたよ」と母の呟き。その夜、父は部屋に閉じこもって居間には一度も来なかったと思う。
高齢者を一緒くたにくくるのは間違っていることはみんな分かっていることではあるが、施設でひとりひとりに合わせた扱いにはやはり限界というものがあるだろうと云う事も充分に解っている。そこをどう折り合いをつけていくかがこれからの課題になるのだろうが、結局この折り合いは解決しないまま永久に残っていくことだろうと思う。

父のデイケアサービスを受けた話の続きを書きたいところだが、これ以上書くと美化と言い訳の話になってしまうのでやめておく。まだ私自身の中で昇華しきれていない。

そして、こういうことを平気で書くのは経験者の驕りと言えるかもしれないと、私自身に言い聞かせねばならない。解っているようで実は何も解っていない。










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