ワシらは何を知らにゃぁならんのか

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情に動かされてこその人間。しかし情にばかり訴えるような安保法案関連の反対運動は、戦前の戦争正義を、勢いと情に訴えて戦争に突入してしまったのと変わらない。
誤解を生むかもしれないことを覚悟したうえで言えば、戦争反対と書かれたプラカードを持ったデモ隊の映像を見て、戦争という二文字に短絡的な反応しかできない様なデモで果たして本当に人の心に響くものなのか疑わしい。説得力に乏しい、薄く軽いものにしか見えない。歌で戦争反対を訴えようとその場のムードに酔いしれているミュージシャンと大した違いはない。

幸いにもこの国は70年もの間、戦争をしてこなかった。そのおかげで国民の心は優しくなったように見えるが、戦うことを知らないどころか、戦うことの残酷さも知らない。戦争では最前線で勝った方に正義が成立する。戦争という極限状態に置かれた人間が、どういうことをするのかを全く知らない国民ばかりになってしまった。
だから戦争反対のプラカードを持ったデモ隊が、いくら戦争反対を声高に訴えたところで、もし現実に戦争が起きてしまったら、その先の事をどう憂えたらいいのか分からないまま、なんとなく漠然と、危機感も薄く、半ばお祭り気分でムードに酔いしれているように見えて仕方がない。60年安保闘争の学生たちの持っていた危機感のようなものが、今のデモには全く見られない。
まあ、私の言う事ではないが。
戦争を経験したものでないとわからない実感というか、皮膚感覚というのは、今の日本人にはない。これは仕方がない事であり、経験すべきことでもない。
子供の頃、テレビでは第二次大戦の記録映画を頻繁に放映していた。傷口から虫がわく兵士の姿、沖縄で断崖へ次々に飛び込む女学生の姿、広島で腰に一枚の布きれをぶら下げた上半身裸の男がフラフラと歩いていると思ったら、実はヤケドで背中の剥けた皮膚が腰にぶら下がっていたという映像。
高校に入る頃になるとベトナム戦争のニュース映像で、ナパーム弾によって焼かれた乳児が力なく泣く姿。咥え煙草でベトコンの若い兵士の頭を撃ち抜く政府軍の兵士、こめかみから血を噴きながら崩れ落ちるベトコン兵。

残酷すぎる映像だから、子供には見せられないと、優しさとか気遣いなどと勘違いした視聴者からのクレームで、戦争の本当の姿を伝える機会を失ってしまったメディア。
良い事なのか悪い事なのか、戦争を知らない日本人。
我々は戦争をしないために何を知らなければならないのかをよく考えないといけない。何も知らないまま戦争反対を訴えても戦争を防ぐことはできない。
国民の生活を守るためとか、国民の生命を守るためとか、国民の財産を守るためとか、そのために戦いが始まったら、最前線で戦うのは国民。むかしから戦争を起こす者は国民の命を盾にしてきた歴史的事実やね。








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