記憶も感情も風化してこそ

画像

 久しぶりの連休、約一か月ぶり。ようやく雨が上がって窓に射した薄日で部屋が明るくなったと思ったらそれもつかの間、自転車で散歩したかったがこの天気。一粒でも雨に当たったら台無しだ。
- - - - -
 父が死んで2年後に母の死。以来一人で暮らすようになって何年たったのか。10年を過ぎるとその当時の記憶はだいぶ薄れてくる。
 父の介護に11年。後半の辛かった5年の記憶は父の死直後から曖昧のまま。県道で倒れていた父を見つけて大急ぎで車の荷台に積んでそのまま病院へ連れて行ったこと。来る日も来る日も昼夜の別なく家中をうなりながら歩き回る父。通勤の車の運転中の記憶が全くなくゾッとしたこと。あわただしかった事の後先、順序の繋がりはなく、ただ情景が断片的にフラッシュバックする以外に自分のその時の感情を追うことはできなくなっている。夜中に病院から電話があり父の死の知らせ。母も私もその死に目に会うことはなかった。死に際の父の様子は医者からの話で想像するしかないが、父の遺体と対面したときに11年間見たことのない穏やかな父の表情に驚いたことだけははっきり覚えている。11年間苦しめられた後遺症から解放された安堵の表情だった。
 母が死んだとき、あれほど悲しい思いをしたはずなのに、今では仏壇に手を合わせることすらなくなってしまった。日々自分のことだけで精いっぱい。10数年の間、生活に翻弄され、前後左右から打ち寄せる波に記憶や感情が洗い流されてしまったような気がする。記憶だけでなく、その当時抱いていた感情も風化する。
 うまくできたもので記憶や感情の風化があってこそ生きていられるようなところもある。
「歴史は繰り返される」と言われる。「歴史に学べ」と言われる。記憶が風化することが分かっているからこそこれらの言葉が生々しい。記録が残っても記憶が蘇ることはない。


"記憶も感情も風化してこそ" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント