過去の思いを振り返ると・・・・

親父の徘徊はただのボケではなく薬と酒による徘徊だった。俳句が好きなオヤジだったが徘徊を始めてからはまったく俳句を作ることも出来なくなっていたが徘徊で行方不明になると、母と「俳諧が始まったね」とか言って苦笑いしながら徘徊親父の捜索に出たものだった。
徘徊される家族は大変だ。寝たきりは寝たきりで大変だが、体が丈夫で徘徊されるのも大変だ。親父の介護をはじめて5,6年目あたりから徘徊が始まり精神科の病院の入退院が繰り返され、いつまでこんな状態が続くのかという家族の苦しみはとても大きかった。
行方不明の広報が流れるたびに医学の進歩って何なんだと思う。
私の住む杉山町内も高齢者世帯が多い。10年後、杉山町内がどうなっているのか、そして私自身もどうなっているのか。

高齢者の介護は難しい。子供がえりという言葉がある。認知症でそうなっていく人もいるが、事はそう単純ではない。子供がえりした人でも立派な大人である。その人の歩んできた人生が詰まっている子供がえりだ。
その頃、介護保険制度があったかどうか憶えていないが、また、どういういきさつでそうなったのかこれまた憶えていないが、父、母、私の3人で、デイケアサービス施設を一度見学させてもらっていた。広くて明るい施設の中で、老人たちがタンバリンやカスタネットをもって、職員のリードに従って童謡を演奏している光景。職員の笑顔と老人たちの笑顔が溢れているように見えがちだが、その中にはしらじらしい笑顔も。惰性で鈴をたたいている人もいる。まだ子供がえりしていない人も交じっている。施設のお世話になっているからという意識が働いてのお付き合い。「こんなくだらんことやってられるか」と、ぽつんとたたずむ老人もそこここにいる。私ももし高齢者になって子供がえりしてもいないのにああいう施設で飯食わせてもらってタンバリンたたいてみんなと一緒に笑うことができるかといったら、きっと楽しいとは思わないだろうと思いながら、その光景を見た記憶が鮮明に残っている。そして一緒に見学をしていた母も父もきっと同じ思いをしたに違いない。
が、意外にもこのデイケアサービスを父は受けてみてもいいと言った。我々家族に気を使ってのことなのかどうかわからないが、とにかく一度受けてみると言ったので、半日預かってもらうことになったのだ。狭心症の母の負担も多少なりとも減らせればという思いもあるし、私もそんな母を心配しながら仕事をしなくてもいいし、何よりも楽がしたかった。
一時的でもいいから厄介払いができればというのが本音。
昼間5時間か6時間で昼食付きだったと思う。当日、仕事から帰って母に、「どうだった?」ときくと「やっぱりだめだった」という答え。そして、「お父さん泣いてたよ」と母の呟き。その夜、父は部屋に閉じこもって居間には一度も来なかったと思う。
高齢者を一緒くたにくくるのは間違っていることはみんな分かっていることではあるが、施設でひとりひとりに合わせた扱いにはやはり限界というものがあるだろうと云う事も充分に解っている。そこをどう折り合いをつけていくかがこれからの課題になるのだろうが、結局この折り合いは解決しないまま永久に残っていくことだろうと思う。

父のデイケアサービスを受けた話の続きを書きたいところだが、これ以上書くと美化と言い訳の話になってしまうのでやめておく。まだ私自身の中で昇華しきれていない。

そして、こういうことを平気で書くのは経験者の驕りと言えるかもしれないと、私自身に言い聞かせねばならない。解っているようで実は何も解っていない。

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15年12月時点の思い。
今も変わらない。

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