久しぶりの投稿と今更ながら感謝

去年の2月28日の日記を読み返す。
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全く知らない顔ぶれを見まわしてある程度の覚悟を固めた。今後の生活を考えると本当に不安なのだが、結局どの役に就こうとほぼすべての行事に参加しなければならないのは確実であり会長以外なら副会長でも会計でもいいのかなと内心は思っていた。校区会長となるとやっぱり二の足を踏む。今後の生活、経済面での不安。その不安がなければ会長をやってもいいという思いはあった。年を取ると安定、穏やかな生活がいいと思う。しかし波風にさらされることも経験として自分がどう変わっていくのか見てみるのも面白いという思いもないわけではない。経済的にはマイナスになるが、人としてもう一回り大きくなれるかもしれないという興味も。
3役の選出はなかなか決まらず、会計はいずみヶ丘のTさんが本業も会計ということで手を挙げた。会長・副会長が難航。本来副会長は月々の予定、活動計画を立てる役割と会長の補佐等、会長とは違った忙しさと能力がいるらしい。去年は会長が一時入院していたということで副会長が代理を務めることになるはずが、副会長が全くその任にあたらず、月々の予定が立てられなくなったらしく、別の担当幹事が総務という役を設けて月々の予定計画を立てるようになったという。今年もこれを継承することにした。左隣に座っていた高区会長Bさんが月々の予定計画なら立ててもいいと手を挙げた、自分から言ってくるのであればお任せするのがいいと思った。これで少し心が動いた。会長の選出は全く進展せず、時々声を出すのが私とBさんのみ。後は誰一人声を出さない。会議は煮詰まり、焦げ付き始めた。まるで誰も手を付けなくなった鍋。話が全く進展しないまま2時間近く経過。アミダくじで決めるという意見が出始めた。アミダくじはだめだと思った。覚悟のできない人が会長になるのはよくない。今回の各区役員に会長をやってはいけない人がいるのかどうかはわからないが、覚悟のないままくじ引きで無理やり決めても後々面倒なことになりそうだと思った。覚悟を決めて自らの意志で手を挙げるべきだと思う。その意思を見せてはじめて周りの人がフォローしてくれるものだと思う。仕方がないので私が手を挙げた。なんでこんなことになるのかと泣きたい気持ちになった。半年後、一年後、ちゃんと活動をやっていけているのかという不安と生活の不安、体の不安が一気に襲いかかってきた。手を挙げて一瞬目の前が真っ暗になり人の声も全く聞こえず、自分が何をしゃべっているのかも全く分からない。そんな状態が続いた。そんな時に三嶋区のFさんが副会長はは私がやります。と言ってきた。
腹を括るしかないと思った。腹を括るといっても半ばあきらめのようなものが混ざった腹を括るであり、一年後に後悔していることもあるかもしれないが、良かったと思えるものもあるはずだ。そして会期中は役員たちの前で弱音を吐かないようにしようと思う。ヘボでもヘボなりに前を向いていれば、こいつのために何とかしてやろうというくらいの気持ちは持ってくれるのではないかと思う。
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一年が過ぎた。始まれば終わる。生活の心配は思った以上に膨らんでいるが、この一年間の活動に関して後悔など全くなく、いい出会いに恵まれたという思いばかりだ。
天津区会長Mさん、高区会長Bさん、谷区会長Kさん、三嶋区会長Fさん、御園第二会長Hさん、いずみがおか会長Tさん。そして副会長の人たち、女性部連絡員の人たち、本当に明る皆さんには心の底から感謝。
まだ終わっていない。もうひと踏ん張り。
終わったら就活、背中に出来たタンコブを取ってもらう、白内障か加齢関係の眼科治療せにゃならん。

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