私は清貧に生きるのだ

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あっ、やっちゃった!と、なったところで目が覚める。あわてて布団の中をまさぐり、濡れていないか確かめる。ほっとする。
なぜか、おねしょをした夢を見た。おねしょをした瞬間だけの夢。おかしな夢だ。まあまあとにかく夢でよかった。
オムツをしているうちはおねしょとは言わないが幼稚園くらいになるとおねしょと言うようになる。子供のおねしょは可愛いが、いい大人のおねしょはやっぱりなぁ。人はみな生まれたときからおねしょをしていた。普通は小学校に上がる頃にはおねしょを卒業していくものだ。ここまで書いていくと、あなたは、私が小中学校くらいまでおねしょをしていたという告白を期待するだろうが、残念。申し訳ないが私も小学校に上がる前におねしょは卒業していた。ただ風邪かなにかで高熱を出したときにおねしょをしてしまった覚えがあるのみでいたって普通。
歳をとるといろいろすり減って、修理交換する部品とかもなくなってくるので、すり減ったまま生きていかなきゃならない。体のあちこち、関節とか骨とか髪とか歯とか視力とか記憶力とかいろいろすり減ってアレになる。当然オツムもすり減ってアレになる。
歳をとってオツムがアレになるとオムツをするようになる。
オムツをしていてのおねしょはおねしょと言わないので、歳をとってオツムがアレになってオムツをしておねしょをしてもおねしょとは言わないわけで、・・・、なんだかよく分からなくなってきたが。
まあ、何と言うか、いろいろすり減ってこれまであったものがどんどんなくなっていく。貧乏になるわけだ。貧乏なんか嫌だけど、嫌な一方で味わいってものを感じることも確かだ(目の前に金をちらつかされたら間違いなく私は金に目が眩むが)。
しかし貧乏から発した日本の誇るべき文化「侘び、寂び」。清貧という美しい言葉もあるではないか。
歳をとってオツムがアレになってオムツをし始めたら、そこから清貧な世界に入っていくともいえるわけだ。

どうも最近、ブログでは、歳をとって呆けたときの言い訳ばかりしているような気がしてならない。



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