話し言葉と書き言葉

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小説などを読んでいて、文章を感じさせないのが、名文だ。と、言うようなことを志賀さんだったり、谷崎さんだったり、川端さんだったり、偉いおじさんたちが言っている。人の話を聞くかのように自然と話の中に入っていける文章が良い文章であるらしい。文章であることを感じさせない、話すように書くのが良いそうだ。解るような気がするが、頭が悪いからやっぱりあまりよくわからない。
話すように書くといっても、話し言葉と書き言葉は違うものである。文章はある程度、文法に沿って書かないと言葉として成立しないし、読む人に伝わらないが、話し言葉となると、主語が抜けようが、接続詞の使い方がでたらめだろうが、場合によっては動詞が無くても、その場の状況や相手の表情、身振りで充分に伝わる。
テレビで見るビートたけしさんの話は、まじめな話もふざけた話も下町言葉を巧みに使い誇張や比喩を交え独自の視点で切り込んで、毒を吐きながらも自虐で話を落とす。いつの間にかたけしさんの話に引き込まれていく。話芸というか話術というか。
本屋で面白そうな本はないかと物色していると、いかにも ‟ビートたけし” らしいと思える題名の「悪口の技術」という本が目に留まり早速購入して読んだのだが、期待に反してつまらなかった。
これはたけしさんの話の内容がつまらなかったのではなくて、文章がつまらないという意味。誇張も比喩も自虐も下町の「話し言葉」をまるのまま文章にしてしまったためにつまらなくなってしまったのだ。。
話し言葉と書き言葉の違いがこういう時に出てしまうのだと実感した。
たけしさんの話し言葉をそのまま文章にしてしまったために話が散らかってしまったのだ。
それを一個一個片付けながら読んでいるうちに大量のエネルギーを消費し、結局、労に報いることなく頭の中に何も残らなかったということだ。
この本はビートたけしさんが自分の手で書いたというより編集者かなんか知らんが、たけしさんの口述したものを、まるごと書き起こしたものだろうと思う。あまりにも話し言葉どおりで、まさに読むのには適さない文章になってしまったような気がする。
記述した人はきっとたけしさんを大好きな人で、尊敬するあまり、話し言葉を忠実に文字に再現してしまったものだろう。そして昨日、また読み返してみたがやっぱり話が散らかってしまって折角のいい話が頭に入ってこない。でも話の中身はいいのでなんとか努力して、大量のエネルギーを放出しつつ読んでいこうとは、思ってはいる。









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