身内がナメクジだなんて

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去年に続いて今年も梅雨らしいつゆを迎えた。夏の水不足は心配なさそうだ。
今日も雨。おかげですっかり家の中はかび臭い。
こんな日は渋茶でも啜りながらチェンバロの曲かなんかを聴くのがいい。
チェンバロの奏でる旋律に、半分開いた窓から、雨の滴る音が重なる。
 * * * * * * * * * * 
久しぶりに娘が帰ってきた。紹介したい人がいるからと言って連れてきた彼氏。どうも気に入らない。ぬめっとした顔立ちで気持ちの悪い男だ。
彼を含め、両親兄弟みんな、何らかの学校で教鞭をとっていることは、あらかじめ妻から聞いてはいたので身元はしっかりしているようだ。
実際に話をしてみると、まんざら悪い奴ではなさそうな気がしないでもないが、心の中では、いったい何を考えているのか分かったものではない。とにかく見た目の第一印象が悪すぎる。これは父親としてのエゴかも知れないが、第一印象の悪さが、私の大切な娘を、そう簡単にくれてやるわけにはいかんのだ。と、思わせるのである。
そこへ娘から、妊娠していることを聞かされ、そして彼は、あろうことか人間ではなく、実はナメクジであることも聞かされ、あまりの衝撃的な告白に愕然となる。巨大な銅鑼を一撃した後のようなしじまに、チェンバロの旋律と雨だれの音が、薄暗い部屋に模糊として響く。
「そんなに悪い人じゃなさそうだから・・・。お父さん・・・」
という妻の一言に、アイツは人じゃないんだぞ、と、言いかけ、妊娠の文字が頭をよぎり、
「諦めるしかないか」
と呟いた辺りで、目が覚めたのだが、時節柄と言おうか、娘の彼氏がナメクジだったというおかしな夢だった。
まあ、夢だからこういう話の筋になるのも仕方がないのかなと思うが、娘の彼氏の名前くらいは知っておきたかった。それどころか、娘の名前、妻の名前すらも分からない。そして何といっても夢の恐ろしいのは顔が判らない。彼氏だけでなく娘の顔も妻の顔も判らないのである。
娘も妻も現実には存在しない。夢という観念の世界では実在しない人の名前(固有名詞)もなければ顔も見えない。ただ、娘という観念上の人物と、妻という観念上の人物と、娘の彼氏という観念上の人物の姿がおぼろげに見えているだけなのだろう。
現実に存在しない人物が夢に出てきたりした場合、その人物がたとえ身内であっても固有名詞は付かないものだ。娘も妻も顔の判別ができない。彼氏の顔も娘の顔も妻の顔も、会話をしながら見たはずなのにどんな顔だったのか全く分からない。目や口が窪みとしておぼろげに印象として残っているような気がするだけである。表情があったのかどうかも判然としない。彼氏の顔がぬめっとして気持ちが悪かったという印象が残っているのは、顔がぬめっとしていたというよりも、観念下での「ぬめっとした」印象ありきなのかもしれない。夢の中では顔の無い妻や娘と生活をしているのだと考えると怖いね。

言ってること解る?・・・解らんよね。俺にも解らん。

とにかく顔はあった(と思う)のだが、目鼻立ちが朧気ではっきりと見えていなかった。
高熱にうなされながら見る夢に出てくる顔が目まぐるしく変化するのは、不安定な精神状態の表れなんだ。
いろいろ考えてみると、夢というのはやっぱり薄気味の悪い世界だ。















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