下降、からの~

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古京荒れ、新都いまだならず  なに言ってんだか。
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50歳辺りからいろいろ下降し始めた。体力、視力、記憶力、持久力、気力、自分の中からあらゆるものがガラガラと崩れていく。どこかの某国立競技場の耐用年数と同じ。
体力的にも精神的にもいろいろと不具合が影響しあって、その度合は増すばかり。手、足、腰が痛い。肩が上がらない。視力も衰えた。もの忘れも酷い。夜、眠りが浅い。そんなことですぐに苛々する。怒りっぽくなる。結果、偏屈になる。
体力の衰えは性根に影響し、それが元でまた体調が悪くなる。デフレスパイラルみたいなもんだ。
が、考えようによっては歳をとってこういう状況を繰り返すことの全てが悪いとは言い切れないものもある。
下降を食い止めることができないことによる「諦め」が意外にも救いにもなるのである。諦めとは限界を知ることでもある。
限界を見つめて納得することで肩の力は抜け、張りつめていた気持ちも軽くなるのである。
限界を知ることは悟ることでもある。
諦めは悟りに繋がるものなのだ。
限界を知ることは欲望からの解放であり、悟りである。

とか言っちゃって、先月車検に20万円もかかってしまったので金がない。
所詮金。金だ、金。
金が欲しい。





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