尿意の話ばかりになるのはやむを得ない

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いつもいつも同じ話ばかりで申し訳ないと思うが、
毎日毎日同じことを繰り返すだけの生活。
そうそう変化のあるべきことなど期待できるわけがない。
この年になって、毎日変化ばかりされてもついていけるだけのエネルギーもないので、同じことの繰り返しでいい。
年寄りは朝が早い。5時前に目がさめるのは当たり前。
しかし、目がさめたからといって脳が覚醒したということにはならない。
結構長い時間、頭の中がぼんやりとしていて「目を覚ました」と言える状態ではない。3割覚状態、7割眠状態。
そしてまず今日は仕事があるか休みの日なのかを考えるが、ぼんやりしていてはっきりわからないのでとりあえず時計を見て、時間を確認するが、すぐに忘れてしまう。この時点で目覚める寸前に見ていた夢がどんなだったかを、ほとんど忘れてしまっている。たしか、穿くズボンがなくて電車に乗れずに困っていたところで目がさめたことしか覚えていない。
ぼんやりしているうちに「あ」と、膀胱の圧力が高まっていることに気付くが、なかなか起き上がれない。布団の中で漏らすわけにもいかないし、我慢して膀胱の圧力に耐えるのも辛い。
起き上がろうとすると腹筋に力が入り、膀胱を圧迫する。ゴロンとうつぶせになると腹が圧迫されてやっぱり膀胱の圧力が高くなる。どんな格好をしても、膀胱は圧迫されるので、尻を突き出して肘を伸ばして四つん這いになるが、すぐに肘の力は抜け、尻を突き上げたまま、また夢うつつに入ってしまう。再び目がさめると、もう膀胱はパンパンの飽和状態。が、この時点でも半覚半眠。これ以上布団にとどまっていると、後でとんでもないことになりそうなほど、せっぱつまっているので、ようやく重い体を起こし、ヨタヨタとあっちの柱、こっちの壁、そっちの戸、尻だの膝だの爪先だの、ぶつけながらトイレにたどり着いた頃には、船上からボロボロになって逃げ帰ってきた兵士のようにフラフラと便器に腰掛ける。
ホッとしたのもつかの間、狭窄した尿道は排出すべき物件をうまく押し流すことができない。それは一筋の白糸のように細く儚く弱々しく弧を描き、トイレのしじまにチョロチョロチビチビ、水琴窟様の音が静かに響くのだった。

御叱呼の出が悪い時ほど、膀胱にかかる圧力の上昇率が著しくなる。
このまま膀胱が破裂して私の一生は便器の上で終焉を迎えるのかもしれないと、毎朝思うのだ。

歳だから、便意の話ばかりになるのはやむを得ない。

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