観念としての時間の差異

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語り部を失った痛手は大きい。
本当の損害がそこにあることを東京電力は分かっているのだろうか。
闘病生活中に回想録を書いていたそうで、その印税を被災者に寄付つもりでいたという。
語るのとのできなかったことを書く時間が残されていたかどうか。
福島第一原発の吉田元所長のことだけどね。

一日絵を描いてると、時々集中が途切れる。
朦朧とした意識で窓の外を眺めていると、頭に麻酔でも打たれたかのように時間の観念までも朦朧としてくる。
一度こういう状態に陥ると、制作を再開しても、頭のどこかに朦朧の塊が残り、意識の微かな麻痺状態が続くのだ。
時間の感覚も鈍くなり、昼近い時間であるにもかかわらず、朝起きた記憶が、ついさっきの出来事のような感覚として残っていることにいぶかしく思っているうちに、夕陽が窓から差し込んでくる。

なんだか昨日はそんな一日を過ごしてしまった。


残された時間に対する観念と、なんとなく過ごしてしまった時間に対する観念の差異は大きいな。





さて、これから仕事だ。
猛暑は続く。
















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