変遷か変貌か

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--文章は、人と共に変わり、時と共に移る。ひとつが消えれば、ひとつがあらわれる。文体の古び方の早さは思いのほかである。
つねに新しい文章を知ることは、それ自身小説の秘密を知ることである。同時にまた、新しい文章を知ることは、古い文書を正しく理解することであるかも知れぬ--
…川端康成の「新文章読本」の前書きより…

若者言葉も時代と共に常に変化してきている。
「今時の若い者の言っていることは理解できん」
と今時の年寄りたちが言っているが、今時の年寄りたちが若かったころも、当時の年寄りたちに、「今時の若い者の言っていることは理解できん」と言われてきた。

「クソ」などの言葉は、今一番よくつかわれている言葉のひとつだ。
「クソ」といえば、まず相手を否定したりけなしたりするときに使うものだったのが、今では「クソ美味い」「クソ可愛い」「クソ面白い」などと最上級を表現するときにも使われている。
「クソ」だけに言葉の美しさという点では当然ながら大人たちに嫌われる言葉の使い方であるのは当然と言えば当然かもしれない。
年寄りと若者の言葉遣いに対する変遷の戦いは、永劫に続いていくのだ。

参議院選挙が近い。
新聞で、各立候補者のアンケートに対する回答を比較して、だれに投票するべきかを一応決めたことは決めたが、立候補者の言葉は、どこまであてにしたらいいかちょっと疑問ではある。
文章も言葉も人と共に変わり、時と共に移るが、選挙で聞く言葉は選挙後、一夜にして変わり、移ることがある。
若者言葉の変遷の比ではない。
もはやこれは変貌である。

でも一応投票はせにゃあいかんな。



東京電力福島第一原発の元所長、吉田昌郎さんが亡くなった。
吉田さんの話したかった言葉を残すことができないまま、変遷も変貌もない言葉は断ち切られてしまったのかもしれないと思うとどうにも惜しい。
この状況にホッとしている連中もいるんだろうな。
















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